全国で児童相談所の在り方が問題になっている。千葉県の女子児童死亡事件では、児童相談所の対応のまずさがひとつの課題として浮かび上がった。さらに東京23区などでは相談所新設を巡り、地元住民が反発。建設計画が容易に進まないケースがでてきた。どこに問題があるのだろうか。

 

児童相談所とはなにか。そこからおさらいしておこう。設置するのは都道府県である。いまでは政令指定都市、中核市、東京特別区が設置主体となることが認められている。分権の一環ともいえそうだが、自治体からすればやっかいな施設をしょい込んだと思うところも少なくないのではないか。それだけ児童が抱えている問題は重い。ここで働くのは一般の行政職と専門家である。専門家とは児童福祉司、児童心理士、医師を指す。

 

児童相談所が求められる職責を果たせないのは、相談件数の急増ぶりに対し、マンパワーが追い付いていないところにあるようだ。児童虐待の通告児童数をみると、2016年で5万4千人。わずか5年で5倍に増えている。相談所は210。働く児童福祉司が多ければ対応も可能だろうが、17年4月時点の配置員数は3115人。東京都などは充足数にも満たないという。児童心理司は全国1379人だ。これではとても追いつかない。

 

もともと公務員というのは危険を冒さないものである。よくいえばのりを超えない。ドラマやアニメのように気になる家庭にどんどん首を突っ込む相談所はそうないだろうし、首を突っ込む余裕もあるとは思われない。しかし、子供の問題は表にでてこない。ケースバイケースで突っ込んだ対応を練らないとどう転ぶかわからないのだ。そこに難しさがある。家庭の問題に周囲がどこまで手や口を出せるか。その匙加減の難しさが、関係者をして二の足を踏ませる主因になっているのではないだろうか。

 

高齢者が増加している問題には、施設を作り、保護する体制を整えればある程度けりがつく。病気も病院の数があれば事足りる。目の前に困った人がいるので対処法も明らかだ。もちろん施設の整備費がねん出できるか、運営する人手を確保できるかという問題は残る。だが、子供の問題はどこまでどうやればいいかがわからない。児童福祉司を増やせば解決する問題ではない。相談所があちこちにあれば解決するという問題ではない。

 

少子化が進み、本来はさほど入用とは思われない児童相談所だが、いまそのニーズは逆に増している。核家族化が進み、共働き世帯が増えているのが大きい。驚くべきことに児童虐待も深刻さを増している。現代社会の闇といえる部分だ。近所の監視の目が行き届く地方と違い、都市部ではこれからますます頼られる施設になろう。相談所の職員を支え、地域の人々の総がかりで動かす仕組みを作る必要がある。

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