天皇陛下の代替わりで地方がかかわる重要な行事が13日行われた。斎田点定(さいでんてんてい)の儀である。11月の大嘗祭に備えた儀式で、神々に備える米の収穫地を決めるのだそうだ。亀の甲羅をあぶってひびの入り具合で場所を決めるのだという。大嘗祭が天皇陛下にとっても一回限りの行事であるということは知っていたが、こんな占いまでは知らなかったなぁ。占った結果、選ばれたのは京都府と栃木県。京都は久々に常連さんが登板という感じ。対する栃木はルーキーの登場。ベテランと新人という組み合わせ、なかなかの妙ですな。

日本全国どこでもコメがとれないとできない儀式。それだけ日本人とコメは切っても切れない関係にあるということだろう。皇室行事もコメの収穫を願う儀式が多い。古来、人間の生活が豊かになるようにと祈ってきた役割を皇室は連綿と受け継いでこられたのだなぁ。亀の甲羅を使うというのがまた古くからの伝統を継いでいる感じがする。小笠原諸島でとったアオウミガメの甲羅を使ったそうだが、いま始めたら世界中から批判されそうだが、これは古式ゆかしいということで許してもらおう。でも、どういうひびが入ったのだろう。公開されないと聞くが、展示してもらってありがたく拝見したいものだ。

さて、収穫地として選ばれるのは東西それぞれから一か所ずつ。東日本と西日本に配慮されている。日本をふたつに分けるという発想はずいぶん昔からのことなのだな。東を悠紀、西を主基というようだ。新聞報道によると、平安以降、主基は丹波と備中を交互にあてたという。一方、悠紀は近江。だから京都は常連さんなのだ。NHKによると、前回平成2年の大嘗祭のときは悠紀が秋田県、主基が大分県だった。あきたこまちが世に広く知られるきっかけになったようだ。県で選ばれる斎田と大田主さんは大変だ。無事に収穫されることを祈りたい。

時事通信がもう少し詳しい記事を作っている。大正は愛知と香川、昭和は滋賀と福岡だったという。明治は山梨と千葉。両方東日本で、千葉が主基。東西逆転の理由は東京を中心に選び、伊勢神宮に近いほうを悠紀にした、という有識者コメントを紹介している。へええ。大正と昭和は京都を中心に東西を分割したとか。令和は18と29に東西を分けたようだ。どこに政治の中心があるかで変わるのだろうか。興味深い。京都が出たのは奇遇なのか。あらかじめ除かれた地域はなかったのか。今回はなぜか皇室ゆかりの地。京都は京都御所があるし、栃木には御料牧場がある。まさか最初から決めていたとか。

いずれにしろ、献上米、いただきたいなぁ。どうだろう、宮城県が当たっていたらササニシキかだて正夢だったのだろうか。ブランド米の売り込みにもつながりそうだ。福島の天のつぶと熊本の森のくまさんだったらとてもよかったように思うが。せっかくだから、京都と栃木のコメの人気が出るといいな。そのくらい、不謹慎ではないでしょう。天皇陛下も京都と栃木には特別な思い入れを持たれたりするのだろうか。大嘗祭のときはありがとう、みたいな。斎田点定の儀、個人的に盛り上がる儀式となったので、調べたことをまとめてみました。

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