原田前環境相がいたちのさいごっぺのように、海洋放出案を唱えた原発処理水問題。後任の小泉進次郎環境相の仕事のような世論ができてきた。その小泉人気にあやかろうというのか、便乗しようというのか、大阪湾に流せというトンデモ案まで浮上。予想外の展開をみせている。

もともとは韓国がいやがらせのように持ち出して、焦点があたった問題。ここまで話題になると、もう放置はできないだろう。政府としての姿勢を決めるべきときなのではないか。大阪がやるというなら、やってもらえばいい。

筋論としては、放出して大丈夫なのかどうか、政府が専門家の知見のもとに判断するのが出発点だ。やっぱりだめということなら、まだまだため込むしかない。これならOKということなら、のちのち責められないように判断基準を明確にして放出に動けばいい。

大阪が出てくるのはこの段階だ。福島からの放出に理解が得られないのであれば、国が放出先を見つける。そこで大阪のような地域が出てくればよし、出てこなければやむなくため込む。安全だけどため込む。そのようにしっかりと段取りと手順を明確にし、その都度の関係者の判断で進める。

そういう透明性のあるプロセスを作って、議論し、行政として進める。のちのち後ろ指をさされないやり方で進める。物事の運び方を考えだすのは行政の得意技だろう。水面下とかなあなあにせず、誰もがアクセスでき、理解できる手順で最終的な放出か備蓄かへもっていく。

ひとつひとつの段取りを決めて、衆目一致、国民の理解を得ながら、納得感をもとに行政を動かす。漁協に責任を押し付けてはならない。そういうのは国民的な人気の高い政治家ならできる。「進次郎が大丈夫というからやる」というのでなしに、みんなが納得できる基準と段取りでやるべきことをやる。そこのプロセスを政治家には
IMG20190820205155
作ってほしい。

小泉環境相に科学的知見はないだろうが、ポピュリズム的な力ならある。透明なプロセスにそって行政を動かす。それはポピュリズムの持つ力を有効かつ適正に使うということにならないだろうか。