自治体のツボ

地方分権ってどうでもいいことなんでしょうか

地方自治・地方行財政・地方創生…地方のあれこれを取り上げます

2018年12月

自動車の税金は国税にまとめるべし

 自動車税の軽減が税制改正の焦点に浮上してきた。自動車メーカーの負担軽減要望に、ようやく政府・与党が応える形である。少なくすれば、ユーザーは喜ぶだろう。しかし、毎度毎度こんなちまちまやっていていいのか。今回も消費増税との取引材料に使われるようだ。自動車産業をめぐる現状、地方税財政の先行きを考えると、私は自動車税は国税にしたほうがいいと思う。


 地方は税収の一割にあたるそれなりの財源を手放したくないから、現状維持を求めるばかり。産業構造の変化に応じた税体系を作る意欲がない。その結果、年末の税制改正を巡る論議では税率をどういじり、一人当たりいくら負担が減るという話ばかりになる。どういう狙いでお金を集めて、何に使うのかを考えなおすべきときではないか。


 化石燃料で動くクルマを前提に、あがった実入りで道路整備などを進めるというのが自動車税の意味である。でも、もう環境負荷の小さいクルマの開発が進み、電気自動車への切り替えも進む世の中である。いつまでも同じ体系でとればいいというものではない。新しい道路はいらないが、国策でEV普及などに全力をあげる方向にいくべきだ。


 国税にして、より簡素な税体系にしたらどうか。自動車は取得時、保有時、走行時に税がかかるとかつて学んだ。税負担が重すぎだとメーカーもユーザーも怒る。国際水準も上回っているという。まさにとりやすいところから取るの典型だ。単なる減税ではなく、政策的な誘導にもつながる適正な負担を真剣に練るときではないか。

 だから、国も実入りが増えたといって喜ぶだけではいけない。高性能のクルマの開発を促し、高効率なモビリティ社会をつくる。そうしてこそ、ユーザーも喜んで税を負担するようにする。渋滞も解消しない、事故も減らない、一向に環境対応車が出てこないでは、税負担の重さにばかり目が行く。そこの責任は国が果たすほうがよい。


 地方も自動車関連は返上し、住民税・固定資産税・法人課税の三本柱にすっきりまとめることに力を使うべきだ。そして地方消費税と政策目的にあわせた目的税でやりくりする。国と地方との間では、歳出構成を踏まえ、所得税・住民税の間で税源移譲を求めたほうがいい。三位一体改革の負の教訓があろうが、つまらぬ固執より、筋論で攻めたほうが財政は安定する。損して得とれ、だ。


 こういうと、経済産業省と総務省の縄張り争いに財務省が傍観、、、と、みにくい対立が話題になりそうだが、行政機関の運営は国民の理解を得てこそ。既得権益をもつ一部のヒトのためではないはずだ。簡素で中立、しかも国の競争力を高める税制を探るのは急務。地方行財政は理屈にあわせて再設計するべきだ。

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世界の住民投票を分析する

この11月、世界でいくつかの住民投票が話題になった。なかなか興味深いのでまとめてみた。ニューカレドニアは中国が南太平洋地域への進出を加速するなか、フランスとの関係を問い直したもので、国のゆくえを左右する大問題への賛否を問うた。カナダ・カルガリーは市が冬季五輪招致を目指していたものの、断念を余儀なくされた。五輪立候補地は莫大な資金が必要になることや、開発に対する懸念から招致をあきらめるケースが目立つ。カルガリーの判断も国際社会に少なくない衝撃を与えたといえる。

 

ニューカレドニア

フランスからの独立に「反対」

カナダ・カルガリー

冬季五輪招致を「否決」

台湾(10件実施)

東京五輪への台湾名義の参加は「同意せず」

福島県産など日本食品の輸入規制を「継続」

 

台湾はどうだろうか。現政権が国民の歓心を買おうと、国の法律で住民投票のハードルを下げた。投票実施に必要な署名数を有権者の5%から1.5%に減らし、25%以上の投票率で賛成が過半数を上回れば成立するとしたのだ。これに野党が乗じ、政権批判を突きつけようと今回の地方選で10件もの投票が実現した。日本に関係のあるものは表にいれたが、ほかにも同性婚の合法化やエネルギー政策の見直しを迫る内容もあった。

 

住民投票はそこに住む人の意思を直接示すもので、政治や行政には欠かせないものといえる。世界の事例は非常に考えさせられる。ニューカレドニアのような国の行方を左右するものは不可欠といえるだろう。住民というより国民としての意思を示すべきテーマだ。政治・行政がおぜん立てし、最終的な判断を乞う。極めて正しい。冬季五輪も国際社会への影響を考えると、やはり地域住民の意思というのは明らかにしておく必要があるだろう。

 

気になるのは台湾だ。こういう形で住民投票を使っていいかどうか。それぞれのテーマについて意思が明確になるのは悪くないが、乱発気味だ。政争の具として使っている趣があるならば、問題がある。いま世界ではポピュリズムがはびこっている。「よらしむべし」という行政主導はよくないのだが、それでも空気で賛否を示してしまう思わぬ危うさはある。政治・行政が住民のかわりに果たすべき責任も弱まりかねない。

 

日本でも最近、また住民投票の効力に目を向ける空気が強まってきた。行政・地方議会で地域の問題に白黒つけるのが難しくなっているのか。本来住民投票は特別なものであって、最終手段と思えるのだが、各地で頻発してくると、間接民主制の機能不全を思わざるを得ない。あるいは政権や自治体の現体制への不満が渦巻いているのか。だとすると、政治・行政はもう少し真剣に民意に向き合わないといけない。

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税収格差是正、本当に必要?

都市と地方の税収格差をどうならすか。それは今年の2019年度税制改正の焦点のひとつである。格差の大きい地方法人二税について、東京都から地方への配分を増やす。報道では5000億円の移譲案が浮上しているという。

 

これはやりすぎではないか。自治体間の税収格差は地方交付税制度でならすのが筋だ。都市にヒトや企業が一極集中し、地方からの人材を吸い上げているのだから金をよこせというのはあまりに虫がよすぎる。

 

総務省の資料をみると、地方法人二税では6倍の格差がついている。だからなんだ。奈良県は企業の本社立地が少ない。いやなら増やす努力をしなさい、というだけのことだ。ヒトも企業も集まるからこそ、都市には過密に対応する財政需要があるのだ。

 

だいたいそんなカネをもらって何に使うのか。地方は多くの仕事を国から請け負っており、それで財政が回らない、ここは「不要な仕事はやめます」とはっきり言うべきなのだ。やっている仕事の棚卸をして、住民に不可欠なやるべきものをやる、それ以外はなくす。

もうひとつ考えたいのは自治体の歳入確保努力である。分権を進めるには自助努力が欠かせない。これはなかなか難しい。独自新税も特定の政策対応にはよかったが、財政に寄与するほどのものは見当たらない。言うは易し。だからこそ、歳出を見直し、国のくびきから離れる必要があるのだ。それが分権の肝だ。

 

格差是正は来春の統一地方選をにらんだ政権の露骨な選挙戦略ではないか。地方間でのカネの奪い合いなら国庫も痛まない。東京都知事は政権に反旗を翻した小池百合子氏だし。そんな空気に乗じてしまう地方は情けない。

 

東京都も納得づくなら移譲すればいいが、納得できないなら、徹底抗戦すべきだ。納税者たる都民の怒りを買うんだから、自分からおりてはだめだ。税にはとるだけの理屈がある。使ってもらいたいと思うから国や自治体に税を納めるのであって、変な使われ方するんなら、納税者、納税企業は怒るしかない。さて、どんな結論が出るか。

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読書感想文~自治体の未来はこう変わる!

「2040年 自治体の未来はこう変わる!」を読んで

今回は読書感想文。学陽書房から9月に出た今井照著「2040年 自治体の未来はこう変わる!」を読みました。

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現在の自治体を取り巻く環境がわかりやすく整理されていて、自治体関係者にとっては周囲からどのようにみられているかがよくわかり、議員やメディアにはどのような知識を身に着けておくべきか理解しやすい内容になっている。

 

最も印象に残ったのは、自治体が国連動の仕事に忙殺されていて、とても独自色など発揮できるような環境にないということだ。国は標準的で一律の自治体行政を求め、分権の旗を振るどころか、コントロール下に置きたいのだ。 

 

国がやってほしい仕事は国がナショナル・ミニマムといえるスタンダードを示したら、あとは自治体が身の丈と地域のニーズにあわせて、仕事のやり方を考える。それが地方分権の基本線だったはず。今は国の指示からの逸脱は許されない。

 

なんでこんなことになったのか。三位一体改革の経験が大きかったのかな。国にたてついたら、結局カネの配分でひどい目にあった。自由にやらせろというと、カネは自分で賄えといわれる。ならば、言うことを聞いて、その通りやっとこうと。思考停止。

 

2040年の自治体に未来なんてないんだな、というのが読後感。逆にいうと、今とおんなじ国の言う通りにやる地方行政だけが残るということ。余計な仕事をやり続けると。地方の自治体がいくつか消滅したほうがまだ未来があると思う。

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水道民営化、住民には選択肢がいる

2018年11月22日 参院厚生労働委員会で水道法改正案が審議入り

外国人移民問題一色の国会だが、水道法改正案という地味ながら、生活に密接した法案が成立しそうである。要は民営化に道を開く法案だ。人口減で経営は赤字、インフラの更新投資もままならない。なら民間に丸投げしてしまおうという隠れた狙いもありそうだ。

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水道のような生活に密着したサービス、住民があまねく恩恵を享受する業務は自治体がやるべきだ。とにかく安全に供給しなければならない。使用料も乱高下してはいけない。個人的には住民負担が重くなっても自治体が責任をもって手掛けるべきだと思う。

 

自分の住む自治体が水道民営化を打ち出したら、自分は反対する。災害時の水の確保も行政の仕事だろう。そのかわり料金が高くなってもやむを得ない。民営化で失敗したツケを払わされるのはいやだ。でも、自治体がちゃんと仕事して高くなるなら仕方がない。

 

それでも民営化に道を開くのは間違っていない。どうしても行政が手掛けると、仕事は腐敗しがちだからだ。民間のような経営努力が働かない。どうせもらうものは一緒だから、無理にがんばらなくてもいい、と思ってしまうのが、役所仕事の最大の難点だ。

 

フランスなどいったん民営化したあとで、結局再度公営に切り替えたところもあるようだ。「だから今回の改正はだめだ」というのは違う。地域にとって最適な仕組みを選べるようにする。選択肢。それが大事なのだ。やってみて元に戻すことのどこがいけないのか。

 

運営ノウハウをもった民間、外資も含めてどんどん参入し、安全で安い水を提供する体制を整えればよい。ポイントを集めたら安くなるようなことがあってもいい。ただ民間は行き詰ったら逃げるよ。そのとき、途方に暮れるのは地域住民。もう役場にノウハウはなくなっている。埋め合わせの負担も急増する。そのリスクも含めての選択だ。

 

高くても行政がちゃんと責任を持つ仕組みを望むのか、もしくは提供される水の品質が高く料金割引のサービスもあるような民間経営を望むのか。そこは住民の選択である。官でも民でもどっちにしても行き詰まる可能性はある。そうなったら、そのとき立ち止まって考える。水道法改正案で住民が考えるべきはこういうことではないか。

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