「私は日本名と韓国名を両方明らかにして仕事しているんですよ。どっちも大事にしてるんで」。

もう25年も前のことになるのかな。仕事で出会った在日コリアンの人に名刺をもらった。こちらも若かったから、つい「お名前、2つ書かれてるんですね」なんて聞いてしまった。すると、こんな趣旨の答えが返ってきた。もっと、なんというか、かっこいい返事だったと思うのだが、ちょっと詳細は忘れてしまった。でも、個人的には強烈なインパクトがあった。

社会人になる前にソウルに行ったし、プロスポーツ界には多くの在日選手がいるという知識も持っていた。でも、韓国旅行はわずかな異国体験にすぎない。日本でコリアンタウンに頻繁に行っていたわけでもない。上に記したような個人的な衝撃を受けないと、在日の人の気持ちにまで思いをいたすということはなかなかできないように思う。

引き続き川崎のことを考えているのだが、川崎に居てもヘイトの件を遠く感じている人は多いのではないだろうか。こんな狭い国でも様々な人たちと混じり合うというのは難しい。よほどの機会がないと。ましてこれだけ他人に関わらない世の中になってしまうと、一度対立したら、そこを解きほぐすのは容易でない。マンション暮らしだってそうだ。

言うのは簡単だが、日本も韓国も重要と思える意識、そこをどう人々の間で作っていくかがいま必要な気がする。川崎市もそうだし、日韓の国と国との問題も。イヤなこと、だめなことははっきり言えばいいけれど、排除したり、断絶したりでは、あまりいいことはない。そういうお前は何かいいことしてんのかといわれると、韓国料理の店に行くことぐらいしかしてないのだが。

ヘイト条例にはなんとなく違和感を感じてしまうのも、そんな気持ちがあるからなのかなあと思う。新大久保や上野、大阪鶴橋などのコリアンタウンが大好きなせいもあるし。サムギョプサル、参鶏湯、コムタン、チーズダッカルビ、トッポギ。こんなのたらふく食べながら、これからどうする?なんて話したら、首脳も国民も少しは打ち解けるのではと夢想する。そう簡単な話ではない。
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