1年程度──。東京五輪の開催までに私たちに与えられた時間である。やむを得ない、仕方がない。延期自体をこうとらえる声は多く聞く。

しかし、一国の総理からも、経営者からも、首長からも、この1年をしっかり使って最高の五輪をやろうという意気込みは伝わってこない。1年程度ののち、本当に東京で五輪など開けるのだろうか。そんな不安ばかりが先に立つ。

いま私たちがなすべきは新型コロナウイルスの終息であり、東京五輪の開催である。それをこの「1年程度」で成し遂げなければならない。世界のために日本が力を尽くせるか、そこが問われているのではないだろうか。

ならば、それをやってみしょう。そんな決意に満ちた国であらねばならない。プロ野球の嶋基宏選手が東日本大震災後に語った「見せましょう、野球の底力を」。いまこそ「見せましょう、日本の底力を」である。そう世界に日本人は発するべきである。

そんなに五輪がやりたいか。そう言われるぐらい、奔走したい。コロナ制圧の先頭に立つ。マスクや医療団はどんどん海外に送り出す。製薬の音頭もとる。WHOの陰口たたいてる場合か。国際協調へWHOのけつをたたくのならまだしも。

一方で五輪の準備も抜かりなくやる。各競技団体との選手派遣の調整、選手と観客の受け入れ体制の見直しはIOCと日本の官僚が協力する。5Gや仮想現実を使った発信、仮想通貨の導入、遠隔医療の構築、自動運転や新エネルギーの活用など、新しい取り組みをふんだんに取り込む。

日本人の総力を結集すればなんでもできる。1億総活躍ですべての国民が何らかの形でコロナと五輪に力を注ぐ。本当にうまくいって、東京で五輪が開催できたら、誰もが日本はすごいと見上げるはずだ。

世界平和の象徴たる五輪の開催地であるがゆえ、日本、東京が五輪の開催に尽くすのは当然だ。復興をアピールした昭和の東京五輪は日本人が自信を取り戻すための大会だった。

今回は違う。大国としての責任を果し、平和に貢献するための大会といえないか。陰ながら、安心して競技に打ち込める環境を整える裏方でいいのだ。世界のために黒子として頑張ればよいのだ。

そう思うと、なにやらこの「1年程度」が大事なものにみえてこないか。やるのは自分たち。首相や政府任せではだめだ。日本人が世界のために頑張る。令和の時代の日本人の使命はそこにある。
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