自治体のツボ

地方分権ってどうでもいいことなんでしょうか

地方自治・地方行財政・地方創生…地方のあれこれを取り上げます

東日本大震災

震災9年半③福島被災者、決断のとき

原発被災地の復興はまだまだこれから。これからは、国というより東電の仕事の加速だろう。来春以降、震災復興=福島再生という図式になるのではないか。

相双地方は人口が4割も減っている。国は帰還困難区域に特定復興再生拠点を作って、地元復帰を後押ししているが、どうしても帰りたいと思っていない限り、むりやり住民を戻すのは難しい。

復興庁がHPに載せている住民意向調査を見ると、双葉、大熊、富岡、浪江は「戻らない」と答えた人が5〜6割程度もある。震災10年が過ぎたら、最終決断をしてもらって、地域をどうするか決めないといけないだろう。もちろん言うは易しだが。

福島第一の後処理もスケジュールどおりトントン運ぶようなものではない。あと20年も30年もかかる。10年という節目の時間を使って、人々の決断を求めるしかないように思う。

国もずるずると補償するのではなく、次の局面へ何とかつなげることに知恵を絞る。被災者も戻るか戻らないか、決めるときだろう。10年というきりのいい数字に意味があるとすれば、そこだ。

いやなことを言うようだが、被災地には使い切れないお金が投じられた。これからは万全のセーフティネットを張りつつ、焦点を絞って、カネも人も限定的に使っていくしかない。

水害被災地やコロナ破綻で苦しむ人たちの支援も国には重要な仕事になっている。東北の被災地が普通の地域に戻る。そんな出口を見据える覚悟を問われる半年になるのではないか。
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震災9年半②復興と五輪は切り離しを

来年の今頃、東京五輪を無事に開催できているだろうか。新政権が発足するタイミングで、復興と五輪を切り離し、リセットしてはどうかと提案したい。

コロナ五輪にしたほうがいい。コロナ対策に世界中の英知を集め、安全に開く。縮小開催でもいい。やりおおせたら、国際社会の自信になる。

日本がその起点になれるのなら、とても意義あることだ。新首相にはぜひ求心力を発揮し、世界に協力を呼びかけてほしい。

これは被災地切り捨てとか福島隠しということではない。コロナを踏まえ、五輪の持つ意味合いを切り替えたらどうかということだ。

復興アピールというのは我田引水な感じがする。被災者にも重荷ではないだろうか。五輪で復興も終わり、といっているように感じてしまうし。

福島のありのままを見てもらうならよいが、首相から「完全に管理できている」と聞くと、現状をだいぶお化粧して見せるのでは、と疑いたくなる。

それなら、五輪をコロナと歩む人類が自信を取り戻す場としたらよい。開く意味も出てくる。あえて被災地を特別扱いしないほうがよくないか。
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震災9年半①復興卒業へのレール

金曜の夜、NHKにっぽんの芸能で、歌舞伎俳優・中村富十郎の特集をやっていた。そうだった、この名優が亡くなったのは震災直前の1月。新・歌舞伎座を見ることなく逝かれたのだった。そんなに経つんだなあ。

あと半年で東日本大震災から10年。そう、11日で震災から9年半となった。あっという間の10年。じりじり過ごした10年。思いはそれぞれだろう。

当日の新聞紙面を見ると、朝日が汚染水、毎日がコロナの影響からそれぞれ復興を論じていた。関心は中央政界に集まりがちか。

政府は震災から10年を集中復興期間&第1期復興・創生期間と位置づけ、被災地を支援してきた。宮城県と岩手県はあと半年で復興卒業となろう。

当初、どこまで戻れるかなと思っていたが、被災地の多くは人口減と産業競争力の弱さが目立つ地域で、結果的に衰退が加速してしまった感はある。

だからこそ、被災地で生きることを決めた人や企業の後押しはしたい。関わりを持ち続けることでしかなしえない。やや感傷的な言い方になるが。

コロナのせいもあって、なかなか被災地の新しい胎動を聞かなくなっている。日常に溶け込んだと考えれば、それもいいかなとは思うが、発信も少ない。

来春の丸十年が岩手と宮城は一区切りとなろう。そこまでは国もメディアも一生懸命だとは思うが、そこから2県は普通の県に戻るのだろうか。
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寿都と女川に頬かむりの国

2つの町が原発とどうかかわるかで揺れている。女川町は東北電力女川原発の再稼働を巡り、議会が肯定的な判断を下した。寿都町は核のごみ処理場の受け入れを検討し始めた。

2町とも町の将来を考えれば、原発との共生が不可欠との判断がある。人口減、経済力の低下を思えば、受け入れやむなしということだろう。反対派もいる。道県との調整も必要。まだ先は見えない。

疑問に思うのは、町の将来をどうするか、という一点に議論が集まっているように見える点だ。地元経済、町財政への効果だけで論じるのはおかしい。国のエネルギー政策との関わりも訴えるべきだ。

とすると、最も疑問なのは国の姿勢だ。なんで両町の議論を見守っているだけなのか。相変わらずの無責任。これが原発事故につながったのではないか。一歩前に出て、キチンと対応すべきだ。

地元がまとまってからこっちもってこいという姿勢に映る。女川も寿都も批判覚悟のうえで歩き始めている。うまくいかなかったら、国のせいだ。最後はカネだろと思って、待っているのか。

そんなんで日本のエネルギーは成り立つのか。原発は絞り込んでルールに則して使うべきだ。1自治体に丸投げするのではなく、国として責任を追うべき問題である。

両町の様子からは切なさを感じる。国のためにもなるからと思って重い腰をあげたのに、当の国は頬かむり。血が通っていない。いくらお金がもらえるからといって、こんな苦労する必要あるのか。
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映画感想文「Fukushima50」

ひっさびさに映画館で映画鑑賞。見ておきたかった「Fukushima50」に行ってきました。平日都心の館内、密にあらず。快適に見れました。面白かった。

50を全面に出しているから感動ドラマ。ケン渡辺はさすがだし、佐藤浩市の男臭い演技も堪能した。津波や爆発は映画らしい迫力があってよかった。

が、どうしてものめり込んで泣くとはいかない。無能な東電、無責任な経産省、無力な官邸と、人為的なミスに憤りを禁じ得ないから。

このあたりのだめなトライアングルは「太陽の蓋」のほうが皮肉っぽく、こちらはやや抑えめ。佐野史郎の総理はそっくりだが。

映画でも触れていたが、2号基がなぜ爆発しなかったかがわからないのもモヤモヤを残す。奇跡が起きたと結論づけてはいけない何かがあると思う。

想定外は起こりうる。それが原発事故の教訓だろう。吉田所長の手紙に語らせた「人間の慢心」。自然を甘く見た慢心。そこを肝に銘じねば。

東日本大震災に関連するものはできるだけ触れたいが、さぁ泣いてと言われても泣けない。ルポやドキュメンタリーをじっと見る方がいいかもしれない。

にしても、9年たってもまだ日本人にはやり残しの宿題があるように思えてならない。新しい地平も拓けていないし、過去にけりもつけられていない。

なんとなく過ぎてしまう時間。そしてなんとなく癒やされてしまう。コロナ危機もそうやってなんとなく消化されていくのだろうか。
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映画「太陽の蓋」ににじむコロナ危機

無料動画配信の話の続き。「太陽の蓋」を見た。福島原発事故の直後、首相官邸の緊迫をドキュメントタッチで描く。官邸詰めの記者が舞台を回す。

菅元首相がツイッターで6日まで公開と告知していて存在を知った。2時間10分の本編を1時間30分に編集し直したバージョンという。

だいぶ知れ渡ったが、当時の東電の責任感のなさ、官邸の狼狽ぶり、まさに映像にするとこうなるのであろう。東電は呆れるほどの当事者能力の欠如をあらわにする。

首相らも欠点を含めよく再現している。元首相自身が周知しているので、多少割り引かねばなるまい。描き方が苦悩するリーダーっぽい。これがイラ菅?でも、官邸の混乱した空気はうまく伝える。

情報もなく、起きたことを次々処理するだけの官邸。専門家もろくに役に立たず、官僚も学歴だけの無能ぶりを露呈する。危機に際して、あまりに無力な政官民を描き出している。

寺田学役からは、正確な情報があれば、的確な政治判断ができたのでは、との示唆があったように思う。「撤退ありえぬ」のやりとりをみると、当時の判断の正当性をにじませたようにも思える。

あれ、これって、いまの官邸といっしょ?専門家に振り回され、官僚もトンチンカン。政治はかっこよさを取り繕うが、国民は付いていかず。危機管理の能力って上がってないのかもしれない。

政治も官僚も生半可な知識を持っていると障害になる。かといって、日本は専門家をどこまで信頼できるのかがよくわからない。政官民学が危機に直面して、自己都合を横において連携する空気がない。

いつになったら、そういうことができるようになるのだろう。リーマン危機、原発危機を経てのコロナ危機。まだ過去の経験は生きず、右往左往しているようにしか見えない。
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復興達成宣言、しないといけなかったのか

さて、年度末である。平成31年度末であり、令和元年度末でもある。コロナでとんでもない年度末になったが、1年前だったら、代替わりもどうなったことか。

さて、名取市が復興達成宣言を出したとの報道があった。唐突だと思ったが、市役所のホームページをみると、年度末に出す方向だったらしい。

今回はハードの整備が終わったがゆえの宣言であり、ソフト面で被災者の心のケアなどにはあたっていくという。

それでも、なんとなく腹落ちしない。被災者は納得しているのだろうか。復興に終わりはないと言ってくれたほうがいいのではないか。

逆に区切りをつけたいという人もいるだろう。いずれにしろ、市は宣言など出さないで様々な被災者と寄り添うといったほうがよかったのではないか。

市のアピールとしか聞こえない。震災復興部も廃止するという。仕事がなくなったのならいいと思うが、宣言は必要だったのか。

政府追悼式典をやめるのもいい。本当に思いのある人が集まればいいから。でも、復興達成という市で思いは集約できるのか。

こういうセンシティブな問題で目立とうとするのは感心しない。浮かれてるように見えるし、数字ありきのようにも見える。

名取市といえば、仙台空港に閖上。空港は民営化を果たしたが、閖上周辺のまちづくりなんていよいよこれからではないのか。

たぶん政府が「復興完了!」って言ったら、猛反発を食らうだろう。そこは想像力を発揮できるか。市民が良ければそれでいいことなのだが。
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読書感想文「魂でもいいから、そばにいて」

東日本大震災にちなんだ本を読みたいなと思い手にとった。前も見たような気もするが、文庫になってちょうど手頃な感じ。津波で家族を失った人たちの不思議な体験をまとめた珠玉のルポだ。

突然、元気だった近親を失うのは辛い。覚悟ができていないから。だから、こういう形で、ひとりでも多くの人が折り合いをつけて、前を向こうとしているのは立派なことだと思う。

亡くなった子供さんの家庭でNゲージは本当に勝手に動いたんだろうし、お兄さんは妹さんに挨拶に来たんだろう。おばあさんはお孫さんになくなった場面見せたんだろう。

筆者は客観性を保つため、冷静に被災者を見つめ、生きるためのストーリーとやや距離を置いた書き方をしている。好ましい書き方だが、紹介されたエピソードの数々は実体験に基づくのだと私は信じる。

私の場合、近親が亡くなると、必ずその直後に大きな虫をみる。蛾だったり、ゴキブリだったり、ハチだったり。いつもとっても大きい。だから、それは本人たちの最後の挨拶だと思ってる。

近親との別れは思いがけない衝撃を与える。何かにつかまらないと立てない。しかし、その支えは実は亡くなった人が差し伸べてくれるのではないだろうか。そうに違いない。

この本に出てくる人たちは一様に不思議な体験をしたことで、痛切な別れから立ち上がれるようになっている。我々はいつ惨事に巻き込まれるかわからない。こういう本は読んでおくものである。

震災9年④鮮やかな虹かかる

東日本大震災から9年。もともと9年という数字の区切りの悪さから、今年の報道は抑え気味になるんじゃないかと思ったが、新型コロナウイルスに追いやられたような感じだ。落ち着いて震災のことを考える空気はなかった。

政府主催の追悼式典は首相官邸での献花式に終わった。政府関係者はまばらに座り感染予防。でも、報道陣は密集。なんじゃこりゃ。首相挨拶もいまだに復興五輪。もう少し現実的にやったほうがよかった。

今年の報道は「人が帰らない」がメーンだったか。4万7千人がなお避難というが、この人たちに被災地に戻ってというのは酷なんじゃないか。震災前と比べる時期は過ぎたのではないか。いまいる人で生活が成り立つか考えたほうがいいように思う。

福島の原発被災地はようやくこれからだ。帰還困難区域が一部解除されたばかり。即座にまちが戻るわけではない。メディアは「震災前に戻す」という目線で語ってるのかもしれないか、「少しずつ、できるところから戻す」でいいはずだ。

戻さなくてもいいのでは、という議論もある。だが、それではあまりに住民に悪い。荒れ地になるだけだ。やれるところまではやる。被災者の希望にはできるだけ沿う。そのあたりのきめ細かい対応が問われる。とくに福島は。

福島中央テレビの夜の森駅周辺のニュース映像をみた。美容室の奮闘もあって少しずつ元の生活を住民が戻していく様子を丁寧に描いた。駅のツツジは根元を残したので、また芽吹き始めているという。一歩ずつ歩むというメッセージが伝わってきた。

そして11日。被災地ではあちこちに虹がかかったという。NHKなどの映像をみたが、とってもきれい。人の思いはつながる。被災地の外の人間は外から願うしかない。なにかできることはないか、考え続ける。そこを強く思った。単なる感想文でした。
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震災9年③追悼式典の中止、やむなしだが

東日本大震災からきょうで丸9年。亡くなられた方にお悔やみを申し上げたい。被災地の平穏と安定を願っています。

さて、今年は政府主催の東日本大震災追悼式典が中止になった。新型コロナウイルスがまん延期に入るかの瀬戸際だから、休校にまでしている以上やむを得ないことではある。

被災地選出の野党議員が反発していたが、「いま言ってもなあ」と思ったので、政府のコロナ対応には疑問があるものの、納得はできる。

地元市町村はやればいいと思う。クラスターにならないよう万全の配慮がなされるべきだが、あれだけの人が亡くなったのだから悼むのは当然だ。

献花のみもあり。福島県は5人でやるとか。テレビや新聞も盛んに報道するから、震災の記憶、亡くなった方への思いはいくらでも新たにできよう。

ただ他の地域では、避難訓練も中止になったりしているようだ。それはちょっともったいない。コロナのやつめ。

政府がすべきことは、首相や大臣が被災地に入り、被災地の報道を増やすことである。政治パフォーマンスだが、映像が流通するならやるべきだ。

そのかわり。あほな首相補佐官は首相の後ろに立たせるな。あれこそパフォーマンス。首相と復興相だけでよい。進次郎なら功労者だからいいが。

記憶が薄れるとか風化の懸念というが、大して思いのない人まで引き込もうとしても無理。思いのある人はあんな地震、忘れられようはずがない。

式典中止を機に関係の薄い人の脱落はやむなしと考える。知り合いと連絡を取るとか、現地行くとか。気持ちの表し方はそれぞれでよいのでは。
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