自治体のツボ

地方分権ってどうでもいいことなんでしょうか

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ふるさと納税

企業版ふるさと納税に感じるもやもや

これはまたややこしい話だなぁ。東京電力と東北電力が原発建設中の青森県東通村に企業版ふるさと納税制度を使って、約6億円を寄付するというのである。規定に沿ってやっているのだろうし、村長もどうも根回しをしているようなので、双方納得づくで問題はなさそうだ。とはいえ、原発政策が絡んでくるから、ちょっともやもや感が。。。

企業版ふるさと納税は2016年度から19年度までの期間限定で導入された税制優遇制度。寄付額の約6割が税負担の軽減になるというお得な仕組みではあるのだが、企業の動きは鈍く、17年度で24億円にとどまっているという。個人版と違い返礼品を含めたお得感がないのが弱点だろう。寄付というのは見返りを期待しての行為ではないから、日本企業の社会貢献への意識の低さを表すともいえる。

企業版は見返りがないことを前提に税負担を減らすのだが、やはり寄付をしている企業はそこの自治体と何らかの関係があったりする。地域が発展すれば助かるから、法人関連税を少し軽くしてもらってそっちに回すというのはあり、ということなのだろう。経営者の出身地に寄付しているケースもある。これは趣旨には沿うが、トップのエゴとはみられないのだろうか。税が減ればいいのか。

電力会社の寄付はどうか。疑問なのは原発受け入れの見返りになるのではないかという点。今回は東通村から頼んでいるようでもあるし、すでに立地はされているからセーフか。電力会社の節税策にならないか。これは経営の自主的な努力とみればセーフか。地域の発展を願う気持ちからの純粋な寄付、といえるのか。まぁ、そうである。

今回の一件をもとに調べると、企業版ふるさと納税は自治体と企業の癒着ともいえるようなすれすれ感がある。自治体にとっては企業誘致と似た財源確保の自助努力といえるのかもしれない。ただ本来納めるべき税を減らして、企業にいいことをさせる、それで一部の自治体は得をするというのは、ちょっと。いいことをしたら、税まで減ったというならわかる。

問題はないのだろうけれど、なんとなく企業の動機に不純さがあるのではと勘繰りたくなるからもやもやする。
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「交付税いりません」と言う自治体出てこい

総務省が2018年度3月分の特別交付税額を決定した。話題になったのは、ふるさと納税で多額の寄付を集めた自治体への配分減額である。ペナルティーでないと総務省は説明しているようだが、そうなら、だまし討ちのようなことはせず、事前にしっかり伝えておくべきだったのではないか。こういうやり方は国と地方の信頼を失わせるし、総務省が配分権限を握っているとのあらぬ批判を受ける。

総務省のことだから、計算そのものは自動的にやっているのだろう。石田総務相は会見で財政力指数と財源超過額を踏まえ、不交付団体並みの扱いをしたと指摘している。おそらく寄付が集まりすぎた自治体は交付税をもらえる額が減るのだろう。以前から、地方は収入を確保する努力が足りないといわれるが、自主的にお金を集めると、結果的に交付税は減る。

報道をみると、減額対象になった静岡県小山町の担当者は「交付されないこともあると考えていた」と取材に答えている。とすると、総務省はもっと誠意をみせるべきだった。ふるさと納税で自主財源を増やしたのは評価する、だが、残念だが、機械的に計算すれば交付税は減りますよと、念を入れて説明をしておくべきだった。いわんこっちゃない。総務省はひどいという批判がネットにあふれている。

ここで考えておきたいのは、地方の自主財源が増えるというのはどういうことかである。自主財源が増え、国依存が低下することを本当は喜ぶべき。ところが、自治体はそう受け取らない。なんだ、自分で実入りを増やしたら、国の支援が減るんだ、となる。三位一体改革がそうだった。情けないことに地方は国からの税財源の移譲が交付税減額と裏腹にあると知って、以後、自主的な財政改革論議は消えた。

今回も同じだろうか。大阪府泉佐野市、小山町、和歌山県高野町、佐賀県みやき町には意地をみせてほしい。もちろん泉佐野のような行き過ぎたふるさと納税は問題ありとみるが、適正な集め方をしているのなら、自主財源が増えたことをもっと胸をはって強調してほしい。そして、国からの自立度をアピールしてほしい。

今回の一件。本来なら特別交付税をもらわずに運営できる自治体が出たことを称賛すべきなのだ。ところが、ふるさと納税のいびつな発展がいつもの国と地方の対立という文脈でみられてしまった。非常に残念なことである。




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看板に偽りありのふるさと納税

ふるさと納税について自分の考えをまとめておきたい。ここまで行き過ぎると、もういい制度とはいえなくなってしまった、と感じている。

趣旨は申し分のない制度である。地方を離れて都会で働く人が遠く離れた故郷を想って仕送りする。それがふるさとの経済を支える原資となって生きる。だれもがそのとおり寄付していたら問題なかった。そこにお礼をつけたところで逸脱が始まった。単なる格安通販、しかも国が下支えする形での通販になってしまったのである。

地場産品の通販ということならまだよかったが、ここに企業論理を持ち込んだ自治体が登場する。法の枠内で、なんでもありのなりふり構わぬ寄付獲得競争が始まる。よその県の特産品だろうが、家電だろうが、なんでもござれ。寄付だけめぐんでくれれば、住民も納得、財政難も解消。思いもよらぬ魔法の杖になりかわったのだ。

総務省が返礼率の高い自治体を問題視し、行き過ぎた返礼に歯止めをかけようとしたのは納得がいく。真っ先に矛先を向けられたのが泉佐野市だ。全国トップとなる100億円超の寄付を集めた。法律を守って運営しているんだからいいじゃないかと反発。国の姿勢に逆らえないとみるや、寄付者にアマゾンの商品券をつける「閉店セール」に乗り出した。

財政難を解消して市長はえらい、話題になってすごい。そういうことでは役所というのはいけないんじゃないだろうか。あくまで税金。庶民からの浄財をいただくわけだから、還元品で大盤振る舞いして、それを上回るカネを集めたものが勝ち、ということでは地方自治が泣く。ふるさとなんて麗しい看板には偽りありだ。

財政がひっ迫しているんだからいいじゃないかというなら、ひっ迫する財政構造をただす仕組みを国と話し合うべきだ。まずはエリア内にいる住民が自らの生活を考えて協力すべきだ。そこをはき違えてはいけないのではないだろうか。ふるさと納税協奏曲はそれだけ地方が行き詰っているということなんだろうか。断末魔の叫びなんだろうか。
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